年中行事について

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【正月】

正月は1年の初めの月で、お盆とともに日本人の代表的な年中行事とされ、多様で複雑な行事が行われています。

元旦を中心とする大正月は年神祭りの行事です。

12月中旬に煤払い(すすはらい)をおこない屋内外が浄め、年末には松飾りや棚を作成し年神を迎え、供饌侍坐(ぐせんじざ)して祀ります。

元旦には若水を汲み、鏡餅を飾り、雑煮をいただきます。

雑煮は神祭りの直会を意味しており、神饌と同じように食物を腹中に入れることによって新たな力を得ようとするものです。

お年玉も年霊を得るためのものであり、若水も元朝(がんちょう)に汲んで神様に供え新たな霊気を得るために行われました。

6日・7日には、七草粥、元旦中心行事の集結の行事、15日を中心とした行事の準備のための行事が行われます。

11日の行事の多くは仕事はじめの性格を持ち、年神祭りが終了し平素の労働生活が始まる前に行われます。

15日の小正月にも多様な行事が行われています。農作物の豊作を予祝する行事、害鳥獣類を追放する行事、年占、来訪神を接待する行事、火祭り、厄落し、仏の正月といった行事が日本の各地で行われます。

【節分】

追儺式(ついなしき)、鬼やらいなどともいわれ、立春の前日に行われます。

本来節分は季節の変わる節目を意味しますが、今日では冬から春に移る立春の前日だけを指すようになりました。

平安時代に宮中で除夜に行われていた悪鬼邪気を祓う追儺が、室町時代になって民衆へとひろがっていきました。

当時民間では立春をもって年が改まると考えられており、立春の前日に除災笑福(じょさいしょうふく)を願って豆をまきます。

鰯の頭などをひいらぎの枝に刺して門口に出すもの、臭気で邪気を追い払うためです。この日には家庭だけではなく全国の神社においても節分祭が行われます。

【初午(はつうま)】

立春を過ぎて最初の午の日に稲荷神社に参詣する行事を初午といいます。

午の日に稲荷神社に参詣するのは、京都の伏見稲荷大社の祭神が後背の稲荷山に出現した日が和銅4年2月7日で午の日であったためとされる説や、旧暦の2月の初午が農事の開始の頃に当たっているために農神としての稲荷と結びつきやすかったためという説があります。この日には伏見稲荷大社をはじめ全国の稲荷神社では祭礼が執り行われます。

【雛まつり・端午の節句】

雛まつりは桃の節句、上巳の節句とも呼び、3月3日に雛人形を飾って女児の健やかな成長を祈るお祭りです。3月上巳は陰暦3月の最初の巳の日のことで、中国では巳の日を忌日として祓を行い、災厄や不浄を免れようとしました。中国には季節の変わり目である節句に、青踏(せいとう)という川の流れで禊(みそぎ)をして身体を清め、神に供物をして神人共食し、霊力を蓄えて身の安泰を願う習慣があり、日本の祓えの信仰と習合して普及していきました。けがれを祓うための人形信仰に雛遊びが融合して、ひな祭りの原型ができあがったといわれる。現在のように雛人形を飾るようになったのは江戸時代になってからです。

端午の節句はこどもの日ともいわれ、5月5日に5月人形を飾り鯉幟を立てて、男児の成長を祈るお祭りです。中国の暦では5月は午月であり忌日として災厄から免れ不浄を祓いました。中国では古代より穢れを祓うために端午の日に野に出て薬草を摘み野遊びをしたり、蓬(よもぎ)で人形を作り菖蒲を浸した酒を飲むなど、災厄を祓うために様々な行事が行われます。雛まつりと同様に、庶民の間に定着したのは江戸時代になってからのことです。

【お彼岸】

春分と秋分を中日として前後3日間をあわせた7日間をお彼岸の節とよびます。彼岸は波羅蜜多の訳とされ、煩悩の彼岸を離れて涅槃(ねはん)の世界に到達することを意味しています。寺院では彼岸会が行われ、多くの人々が寺に参詣し墓参りをおこないます。こうした習俗は日本独自のものといわれています。彼岸会は平安時代に朝廷で行われるようになり、江戸時代には年中行事化しました。明治になって春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭となり、戦後国民の祝日となりましたが、日本の祖霊信仰を含んだ独自の国民的行事となっています。

【七夕】

7月7日に行われる年中行事で、笹竹に歌や文字を書いた短冊を飾り技芸の上達などを祈願します。乞巧奠(きこうてん)、星祭ともよばれます。もともとは中国の習俗で、この夜1年に1度牽牛星(彦星)と織姫星が鵲(かささぎ)の翼を延べたものを橋として天の川を渡り会うという伝承が伝わったもので万葉集の中に七夕にちなんだ歌が数多く読まれています。中国の乞巧奠に倣って日本でも宮中の節会の1つとなり、織姫星は神格化されて織り姫さまと呼ばれるようになり、次第に広がっていきました。

日本で行われている七夕の行事には、中国の乞巧奠や星祭によって説明できないものも多く、日本固有の信仰と習合して現在のような七夕になったとされています。年に1度の神の訪れ待つ棚機女(たなばたつめ)の信仰や、この日に年に1度の共同井戸の井戸替えが行われる習俗、さらには盆行事との関わりなど、農耕儀礼や祖霊を迎えるための祭と関係を持った行事です。

【お盆】

一般的に、陰暦7月15日を中心に行われる祖霊供養の法会のことで、盂蘭盆(うらぼん)、精霊会(しょうりょうえ)などともいわれています。盂蘭盆は倒懸(さかさづり)の意味で、釈迦の弟子の目連(もくれん)が餓鬼道に落ちた母の倒懸(とうけん)の苦しみを救おうとして供養したことがはじまりといわれる。日本では推古天皇の時代に斎会が設けられたのが初めとされ、しだいに各仏教宗派に取り入れられていきました。この日寺院では盂蘭盆とともに施餓鬼(せがき)会が行われ、多くの方が参詣します。しかし、日本には仏教伝来以前から、1月と7月と両彼岸の4回、家で祖霊や死霊の祭祀が行われており、日本固有のみたま祭と習合したものと考えられます。

【新嘗祭・神嘗祭】

新嘗祭は、11月23日に宮中を初め全国の神社で行われる収穫祭です。宮中では天皇が天照大御神をはじめとする神々に新穀を供え自らも食します。祭儀は神嘉殿(しんかでん)で夜中に実施され、同一祭儀を再度繰り返し、祭服は白色絹仕立の袍(ほう)を用いる点に特色が見られる。毎年行われる新嘗祭に対して、天皇即位後に初めて行われる一世一代の新嘗祭を特に大嘗祭といいます。

神嘗祭は毎年10月17日に伊勢の神宮において行われる収穫祭です。神宮最大の祭りで、天皇自らが皇居内の水田で育てた稲の初穂や全国の農家から奉納された新穀を天照大御神に供える皇祖奉斎の祭りでもあります。

【冬至(とうじ)】

太陽がもっとも南に位置し、日中の長さが1番短くなる日です。二十四節季のひとつで最も重要なものです。冬至の太陽はもっとも弱い太陽となりますが、その後一陽来復して光と熱を増すために、人間の生命力や稲魂も生まれ変わるという信仰が広く見られます。冬至の夜に大子という各地をまわるという信仰があり、弘法大師と結びついて大師講の行事としているところも見られる。冬至にかぼちゃを食べると病気をしないとしたり、柚湯に入れば風邪をひかないとする習俗が現在も残っています。

【大祓】

6月と12月に宮中や全国各地の神社で行われる儀式。知らず知らずのうちに犯した罪や汚れを祓う儀式。天下万民の罪穢(つみけがれ)を祓うという意味で大祓といいます。6月の大祓は夏越祓ともいい、神社に設けられた茅の輪をくぐり、人形に息を吹きかけて罪穢をうつして川や海に流す人形流しが行われます。